カテゴリー: 伊賀惣国一揆・天正伊賀の乱
#県指定文化財 忍者との関わり 天正伊賀の乱で灰燼と帰した社殿を修験者小天狗清蔵の勧進により再興。大檀那藤堂高虎の棟札が残る。「火伏の大神」別名忍者神社。 由来 當愛宕神社は伊賀の国原が生み成された神代のむかし、朝日岳に … 続きを読む 愛宕神社(忍之杜)
#県指定文化財 #市指定文化財 忍者との関わり 天台真盛宗寺院。天正伊賀の乱で焼失するも再興。『伊乱記』の著者である菊岡如幻の墓所。 由来 『三国地誌』によれば「按 旧(も)ト四十九院ト云 行基建ル處先君大亭廟ノ寄セ玉フ … 続きを読む 九品寺
#市指定文化財 忍者との関わり 真言宗豊山派寺院。伊賀惣国一揆の評定所であった。 由来 1.沿革 寺伝によれば奈良時代の天平勝宝4年(西暦753)、地元服部党の党領、平康氏入道の発願で覚真長老を開基として開山されたと伝え … 続きを読む 大光寺
#県指定文化財 #市指定文化財 忍者との関わり 真言宗豊山派寺院。第一次天正伊賀の乱で滝三河守保義が織田軍を攻め、榊原で柘植三郎兵衛の首級を挙げたが戦死し、実弟の宥海法印によって供養される。 由来 青山連峰の西麓に在り、 … 続きを読む 滝仙寺
#国指定文化財 #市指定文化財 忍者との関わり 青山伊賀衆が集まって評議し、柵を造って要害を築き立て籠もり信長軍を撤退させるも、第二次天正伊賀の乱で焼き払われる。 由来 当山は三重四国第四十一番、伊賀四国二十二番、準西国 … 続きを読む 宝厳寺
忍者との関わり 真言律宗寺院。伊賀惣国一揆の評定所であった。第一次天正伊賀の乱の際、伊賀衆はここから丸山城を攻撃した。第二次天正伊賀の乱で焼き払われる。 由来 伊賀鉄道丸山駅から西方へ徒歩で約10分のところにある。後ろに … 続きを読む 無量寿福寺
忍者との関わり 1562年柏原城主瀧野十郎吉政が勧請。天正伊賀の乱で焼失後1593年再建。「決戦之地柏原城」の碑が立つ。 由来 現在は、赤目町柏原区の氏神さんであるが、国家管理の時代は村社であった。それ以前の神仏一体の時 … 続きを読む 勝手神社