忍者との関わり
服部氏の氏神。1004年奈良の春日社を勧請。1624年藤堂采女により再建。花垣の八重桜を詠んだ芭蕉の句碑が残る。
由来
当神社は往古より現在地に鎮座ましまし、御祭神経津主(ふつぬし)神・武甕槌(たけみかづち)神・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・姫(ひめ)大臣を大字(おおあざ)予野字(あざ)花前194番地春日大神と称し明細帳に其の由緒「右社の義は人皇第六十六代一条院の御宇、当村地名花が谷に一株の名樹あり、是八重桜なり。即ち此樹を献上す。而るに帝叡覧あり深く賞讃感悦し給い、宮門内に植置かれ給ふ。故に其の後年々当村の民族を徴され八重桜周囲に垣を造らせ給ひ、又花の満開七日間の宿直を命せられ是を守衛し奉る。因て此賞典として公事の賦役を許され、花垣の庄の地名を賜ふ。而る後其の樹跡より又一本の八重桜生出して、数百年の今日に至りて尚存せり。
其の所縁を以て寛弘元年(1004年)に方り、南部春日の神爾勧請を乞ひ奉りしに、速に勅許ありて同年花垣の里に奉遷し、則ち当村の産土神と崇敬し祭祀の礼典闕怠なく重く奉事して聯綿歴然なり。最も地名五ケ庄とも又予野郷とも称して、乃ち予野、治田、白樫、大滝、桂五ケ村の冠たる所以は、巳に花垣の名称あるを以て也。故今変せす右等の邑より尊崇敬事す」とある。
後明治41年(1908年)1月9日許可を得て大字予野無格社境内社二十社、同40年4月27日許可を得て大字大滝村社建部神社外五社、同41年5月12日大字桂式内社乎美称神社外4社を合祀し、41年9月19日許可を得て三郷神社と改称、更に大正13年(1924年)11月12日許可を得て花垣神社と改称現在に来る。
当神社境内地壱千百参坪は昭和22年法律第53号によって国第1202号昭和25年2月28日附を以って無償譲与許可になる。昭和26年10月9日登記完了した。昭和21年2月2日勅令第七一号に依り社格廃止、昭和21年2月2日勅令第70号宗教法人令に依り同年5月10日三重県知事に届出宗教法人となる。
(由緒記ほか より)
花垣神社データ
祭神
経津主命 外二十一柱
季節の花木
催事
冬(1月〜3月)
歳旦祭(1月1日)
住所 | 〒518-1152 伊賀市予野194 |
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連絡先 | 090-1674-2531 |
受付の目安 | − |
ご朱印のいただき方 | 朱印状式 |
ご朱印料 | 300円 |
代表的な周辺名所・史跡等
- 千賀地氏城跡