伊賀忍者回廊第十番永保寺

永保寺

忍者との関わり

真言宗豊山派寺院。百地氏ゆかりの寺院で百地砦と隣接する。

由来

喰代(ほおじろ)は上野市の東端に位置し、阿山郡大山田村に境を接している。久米川の源流・妹瀬川は喰代郷の東部の山中に発して西に流れ、岩坂川は中部に発して北へ流れ、服部川に合流する。村の集落は両河川の流域、とくに岩坂川に沿って展開し、今日もなお、農家の多い素朴な郷のたたずまいを保っている。この印象的な地名は、早くも『日本霊異記』中巻の「高橋連東人は伊賀国山田郡噉代(はみしろ)の里の人なりき。大きに富み財は饒なりき」の記述に登場している。当地から大山田にかけて散在する古墳などの遺跡から鞴(ふいごう)や鉄器等が出土しており、「連(むらじ)」族に特有の技術集団という性格からも、当地一帯に職人の集う村があったとする説もある。また中世の南北朝期に悪党として活躍した記録の残る喰代彦次郎は当地の豪族・百地氏の祖先とされ、『宗国史』には、百地氏の鎮守である南浦の津島神社の牛頭(ごず)を村の氏神にしたとされている。同書には、牛頭と並んで、麻柄神社、永宝寺(現・永保寺)、正光寺、青雲寺の五社寺の名前が登場している。当時は『伊水温故』に「昔八十八町奥東峯ト云山ノ内ニ有リ、野火ニテ本仏ト堂トモニ焼失、其後霊現ニ依(より)今ノ地ニ迂ス 山上十町余ニ旧跡有」とあり、『三国地志』にも「東峯山観音院、按本尊観音古仏、聖武天皇ノ創建ニシテ、永保年間、白河院ノ勅ニ依テ永保寺ト号ス、後世宝ノ字ニ更ム……天正ノ兵火ニ塔舎悉ク亡テ今存スルモノハ後世修スル所ナリ」と記されている。

(著書「伊賀百寺」より)

永保寺データ

本尊

木造十一面観音立像

季節の花木

永保寺のモミジ紅葉

秋(10月〜12月)
モミジ紅葉(11月中旬〜下旬)

催事

夏(7月〜9月)
大般若祭(8月7日)

住所 〒518-0811 伊賀市喰代1096
連絡先
受付の目安
ご朱印のいただき方 略式(セルフ式)
ご朱印料 200円

代表的な周辺名所・史跡等

  • 百地砦
  • 式部(樒)塚
  • 永井城跡

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