伊賀忍者回廊第二十番弥勒寺

弥勒寺

#国指定文化財 #県指定文化財 #市指定文化財

忍者との関わり

真言宗豊山派寺院。736年円了上人創建とされる。伊賀で最も古くて大きい役行者像がある。

由来

当山は聖武天皇の時代、天平8年(736)に円了上人という僧が建立したと伝えられている。
創建当時は弥勒仏を本尊とし寺領も百石を賜わっていた。その後、東大寺の良弁上人(689〜773)の時代に大伽藍を建立、弥勒寺に薬師如来、一言寺に十一面観音、言文寺に聖観音、行者堂には役行者倚像等を安置、盛時には七堂伽藍を有する広大な寺院であったといわれる。以来幾多の星霜を経て、多くの堂宇は、自然に荒廃した。
現在本堂は、昭和54年に改築された。
当山所蔵の仏像は毛原廃寺から移ったとする説と当地にあった寺院から移ったとする説と有力な学者の間にも意見の相違があったのは事実だが、この地から、布目瓦の破片が発掘されることや、地名に伽藍堂、横田、寺屋敷などの地名が残っていることが大伽藍の広大なる寺院であったことがそれを証している。
仏像は何も語らないが、すべてを知っているのは、これらの仏像たちだけである。
なお、ここに紹介した仏像の外、聖観音、持國天、増長天、不動明王、倶利迦羅龍王、軸では、八方にらみの理源大師軸、三宝荒神、釈迦涅槃図など多数。

(由緒記ほか より)

弥勒寺データ

本尊

木造十一面観音立像

木造十一面観音立像
木造十一面観音立像

木造役行者倚像
木造役行者倚像

国指定文化財 (本尊)木造十一面観音立像
本体の高さ1.74m。大正4年8月国宝指定。現在重要文化財。
聖観音立像と同じく平安後期の作。全身に彩色が施してあったらしく、作られた当時の美しさが想見される。面部は豊顔、平安後期独特の作風である。眼は木眼、頭部には十一面小仏を頂き、天冠台をつける。左手に蓮花の水瓶を持ち(後補)右手は下に伸ばして施無畏の印を結んでいる。左肩から袈裟を斜にかけ、両肩から縄衣(てんい)を垂らし、腰に裙をまとうている。
台座、光背ともに後補。台座は塗箔六重座、二辺切付の蓮弁、框座は朱塗。光背は塗箔、船形で雲煙を彫刻し中央に八葉をつける。

国指定文化財 木像聖観音立像
本体の高さ1.8m。大正2年8月国宝指定。現在重要文化財。
平安後期の作。頭部に宝髻(ほうけい=もとどり)があり、天冠台をつける。面部は豊顔、平安前期の神秘的な表情はなくなり、優雅な円満具足の相をそなえているところに平安後期のすぐれた特徴がよく現れている。眼は木眼、額の(ひたい)の白毫(びゃくごう)は水晶をはめてある。
左手に蓮花を持ち、右手は施無畏の印を結んでいる。右肩から斜に袈裟をかけ、腰に裙(もすそ)をまとうている。
台座(後補)は塗箔三重座で、蓮花座は二辺切付、反花(そりばな)はクルミ形、框座(かまちざ)は円形で六方入角。光背(後補)は輪光で塗箔してある。

県指定文化財 木造薬師如来坐像
昭和51年3月31日三重県文化財に指定。平安後期の作。本体の高さ1.43m。
頭部は螺髪(らはつ)で肉髻(にくけい)をつける。平安後期らしい豊顔。眼は木眼、白毫は欠けている。左手に宝壷を持ち、右手は屈臂外掌している。足は右足を上に結伽趺坐(けっかふざ)。台座、光背は後補。

県指定文化財 木造弥勒菩薩坐像
昭和51年3月31日三重県文化財に指定。本体の高さ1.27m。平安後期または鎌倉初期の作。螺髪で肉髻をつけている。顔面は豊顔、眼は木眼。白毫は欠けている。左右の手は印を結び、足は右を上にして結伽趺坐している。台座は仮作、光背がなく、虫蝕の多いのが惜しまれる。
弥勒寺の本尊は、もとはこの弥勒菩薩で寺名の由来ともなっている。

市指定文化財 木造役行者倚像

季節の花木

弥勒寺のアジサイ

春(4月〜6月)
ミヤマツツジ(西田原ふるさと公園)
夏(7月〜9月)
アジサイ

催事

冬(1月〜3月)
初詣祈祷 大晦日〜1月3日
所願成就初祈祷他 1月10日 午前
春(4月〜6月)
お釈迦様甘茶接待 4月8日
あじさい祭り 6月下旬〜7月上旬
夏(7月〜9月)
施餓鬼大法要 8月2日

写経の日 毎月1日 11日 21日

住所 〒518-0609 名張市西田原2888
連絡先 0595-65-3563
受付の目安
ご朱印のいただき方 染筆式(時間外不在時の連絡先を受付窓口に掲示)
ご朱印料 300円

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