忍者との関わり
現在伊賀上野城のある場所には、もともと平楽寺という大寺院がありました。織田信長の天正伊賀の乱の際には、伊賀勢の拠点の一つになりましたが、伊賀勢の敗北とともに焼け落ち、その後、豊臣秀吉の家臣、筒井定次が城を建てました。さらにその後、徳川家康が大阪城に対抗するため、築城の名手、藤堂高虎が改修していましたが、大嵐により倒壊してしまいます。しかし大阪の陣で家康が勝利したので、天守が再建されることはありませんでした。
由来
築城の名手、藤堂高虎によって造られた伊賀上野城。
その石垣は日本1、2の高さ(約30m)を誇ります。
現在の天守閣は、1935年に川崎克によって復興されたものですが、木造の建物内はまさに戦国時代の雰囲気そのまま。
三層からなる城内には、武具や甲冑など、藤堂家ゆかりの品々が展示されています。
最上階の天井には、横山大観などの色紙46点が飾られおり、そこから城下町一円を見下ろす眺めも格別です。
(由緒記ほか より)
伊賀上野城データ
季節の花木
春(4月〜6月)
桜
秋(10月〜12月)
紅葉(11月中旬〜下旬)
住所 | 〒518-0873 伊賀市上野丸之内106 |
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連絡先 | 0595-21-3148 |
受付の目安 | 9:00〜17:00 |
ご朱印のいただき方 | 朱印状式 |
ご朱印料 | 200円 |
代表的な周辺名所・史跡等
- 旧崇廣堂
- 鍵屋之辻
- 旧小田小学校本館