忍者との関わり
青山伊賀衆が集まって評議し、柵を造って要害を築き立て籠もり信長軍を撤退させるも、第二次天正伊賀の乱で焼き払われる。
由来
当山は三重四国第四十一番、伊賀四国二十二番、準西国十三番札所で、本山は大和西大寺です。
約七百年前人皇第九十代亀山天皇の勅願により文永4年(1267年)創建されました。三国地誌には「天皇能作障の玉をここに蔵む。故に宝厳の名あり」、「開祖は、眞慧律師にて、本尊子安地蔵菩薩は、小野篁作、御丈一寸八分不動三尊は空海作、十二天、十三仏、庚申」と記されています。
地蔵三尊尊、紺紙金泥の曼荼羅弥陀三尊、十六羅漢、皆空海の画。熊野、辨天、八幡の三祠を伽藍神とする。天正の乱までは、黒田寺、道仙寺、長尾寺、来迎寺、岩間寺の六子院あり。この寺々空海の筆跡多く、伊勢神宮へ参道の宿坊でありました。昔は七堂伽藍、寺領七百石を所有する名刹でしたが、天正9年の兵乱に遭い、残る所は奥の院、護摩堂、鐘楼があります。
(由緒記ほか より)
宝厳寺データ
本尊
木造十一面観音立像
国指定文化財 (本尊)木造十一面観音立像
平安時代の作と推定され、椎(しい)の一本造りで頭部には十一面の小仏を頂く、豊顔木眼の荘重な彫像である。
この仏像はもとは阿保の大村神社別当(神宮寺)だった禅定寺の本尊であったようで、いつごろから禅定寺に伝来していたのか明らかでない。しかし、地元の伝承によると天正七年「天正伊賀の乱」による兵火のとき里の人々が田圃のなかにこの仏像を埋めて守り通したといい、この時期以前には伝わっていたことが推測される。
宝厳寺に移されたのは、明治三年、神仏分離が行われたときのことで、禅定寺が廃されて同じ宗派だった当寺に迎えられた。
季節の花木
春(4月〜6月)
バラ(5月中旬から6月中旬)
紅梅(6月上旬)
秋(10月〜12月)
バラ(10月中旬から11月上旬)
催事
冬(1月〜3月)
年始 元旦
大般若経 1月第4日曜日
厄年 2月1日
夏(7月〜9月)
施餓鬼法要 8月5日
地蔵会式 8月17日
数珠くり 8月30日
秋(10月〜12月)
除夜の鐘 12月31日
住所 | 〒518-0222 伊賀市寺脇803 |
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連絡先 | 0595-52-1033 |
受付の目安 | 9:00〜16:00 |
ご朱印のいただき方 | 略式(セルフ式) |
ご朱印料 | 200円 |
代表的な周辺名所・史跡等
- 初瀬街道
- 大村神社